自分の中の当たり前
自分の経験を基にアドバイスをする、される
時には「仇バイス」になってへこむ
(たった今アドバイスの入力ミスで出てきた造語です)
そんなことに自分を責める
いや、そんなことないよ
と言われる人が多い中
わかると思う一定数の方がいる
そんなことを最近よく本で見かける
私自身、この種類の本によって
- 気持ちが少し楽になったこと
- 前向きにこのままで進もうと思ったこと
- 無理に他人と同じ土俵にたつ必要がないこと
- 「みんな一緒」に付き合わない
- 無理なときは休む
- 時には水か木を見にいく(最近デジタルデトックスと言われている?)
他人に合わせようと無理をする
社会に合わせる
上司に従順になる
これらの社会の当たり前から
少し外れること
これを今私の中の
当たり前にしようかとしています
そんな思いをくれた本
まず、最初に私のように敏感で他の人よりも多くの情報が気になる人を
ということばで表してくれていました
内容は気になった方
もしかして私?と思った人
どういうこと
と疑問に思った心
本を読んでください
はい
ここで書いてしまうと
内容を書くことになってしまう
なのでここでは繊細さんかもと知ったことによる
自分の中の変化だけ
そんなこと?
と思うかもしれません
でも私の中には
社会の当たり前に従う
ことが
とても疲れること
人よりも多くの情報を取り入れて
人よりも多くのことを記憶している
それも無意識に
私が情報としてみている量が多いから
人よりも早く疲れてしまう
それがわかった事によって
- 寝込みすぎてしまう自分
- 動かなきゃ、でも動けない苦しみ
- 週末両日出かけて楽しむことが苦手
言い訳に聞こえるかもしれないが
これが自分の現実と認められるようになった
ただ
他の人全てにに認めてもらえるわけでもない
なんでできないんだ
と攻撃的な人もいる
もっと協力して
としんどさが伝わらない人もいる
それでも
自分が自分を認められるようになって
言葉にすることが出来て
自分の繊細具合を認めてくれる
分かってくれる人もいる
そんなことが分かったのはとても大きいこと
まだまだ、監督として
私は繊細で疲れやすい
とカミングアウトすることは出来ないが
それ以外の部分で
自分を認めてもらえると
すごく嬉しいと思える
だから、今から
無理のない範囲で
自分を好きになっていきたい